母の七回忌が終わりました。
常に私の理想であり、人生の師でもあり、私にとって女神のような存在でした。
前向きで元気で生きるパワーに溢れた母でしたが、病が見つかってからたった7ヶ月、
さばさばした性格と同じく、風のように去ってしまいました。
まだ60代、やりたいこともやっていた趣味もたくさんあって、
まだまだ人生をこれから楽しみたかったはずで、
私もこれから少しずつ恩返しをと思っていたけれど、
結局何も返せずのお別れになってしまいました。
母と私は「赤毛のアン」が好きで、私の娘と女3人で、
「いつか、赤毛のアンの作者モンゴメリの故郷のプリンスエドワード島に行こう」
と言っていた夢はかなわないままとなりました。
悲しいことがあったり、悲しいニュースを見聞きすると死を身近に感じ、
人生はいつか終わるということに気づかされます。
分かっているけれど、毎日の忙しさや生活することに一生懸命で考えないままになっていました。
母の病気が分かったとき、私は朝から夜中まで働く忙しい毎日でした。
今思うと、もっとこうしてあげればよかったとか、
もっと何かできたはずと後悔ばかりが浮かびます。
ただ、時間が経つと、母から受け継いだであろう楽天的な性格で、
それはそれとして、
「母の人生は100%大正解だった。」
「私も自分の好きなように生きよう」
という思いも湧きました。
母が亡くなってから、少し立ち直り、「人生は短い、いろいろなことをやってみよう」と思いました。
それから、
一人旅に出てみたり、
子どもたちを連れ、海外旅行に行ったり、
数十年ぶりにバイクを買って乗り回してみたり、
子どもたちとプリンスエドワード島には行けませんでしたが、カナダへナイアガラの滝を見に行きました。
大きな自然を見ると本当に自分がちっぽけに感じ、小さいことにこだわっているのが馬鹿らしく思えたりします。
ナイアガラの滝で一番驚いたのは、
樽に入ってナイアガラの滝から落ちて勇気を試すというものです。
生還した人もいますが、亡くなった方もたくさんいました。
最初にこの挑戦を成功させたのは、当時63歳のアニー・テイラーという女性でした。
命を考えた時期だけに、衝撃とともに複雑な気持ちで展示室を見学しました。
この挑戦は、今では法律で禁止され、違反すれば罰金を課せられます。
数十年ぶりにバイクを買ったのも、今が一番若い、あと5年したら、あのとき思い切ってやっとけばよかったと後悔しそうだと思ったからです。
ただ、方向音痴がひどくて、工場地帯に入り込み抜け出せなくなったり、自衛隊の基地に入りそうになり、慌てて方向転換したり、冬の寒さにめげたり、昔もそうでしたが、バイク乗りにはなれませんでした。
ただ、いつかもう一度乗りたいと思っていた気は済みました。
それから、住んでみたかった街に引っ越し、
仕事を減らし、ずっと再開できずにいた水彩画を描くことに没頭しています。
自己表現、自己開放をもっとしたくて、演劇などにも挑戦しています。
やってみると、どれも自分が思っているほどたいそうなことでは、全くありませんでした。
ちょっとした勇気があれば、いつでもできたことなんだと分かりました。
今一番楽しいのは水彩画を描くことです。
水彩画もずっとこうあるべきという既成概念で描いていて、思うように描けず、苦しい時期もありました。
今は、ただ、描きたいものを自分のために楽しく描いています。
前よりもずっと気が楽になりました。
気持ちや思いは変わっていくのかもしれませんが、
心の声を無視せず、少し勇気を出して挑戦していければ、
後悔が少なくなっていくのかなと思います。
「今の人生は一度切り」ということを忘れず、やりたいことを
明日やろうじゃなく今やれたらいいですね。
そして、死後の世界があるのかどうかは分かりませんが、
いつかまた、母に会えたらいいなぁと思います。
アーリー フィンチ■絵と配色とデザインと■
水彩画&デザイン&配色テクニック
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