『おせっかい』にしない『思いやり』とは



良かれと思ってしたことが、相手にとってはおせっかいだったり、逆に人がやってくれたことが、自分にとってはおせっかいで不快になったり…そういう経験は誰にでもあると思います。

おせっかいにしない思いやりの方法はあるのでしょうか?



『思いやり』と『おせっかい』の違い



人が、「誰かのためになる」と思い、やる事や言うことは、すべて『思いやり』だと思います。
自分がそれを他者にすることで気分がよくなったとしても、思いやりだと思います。
思いやりとは、他者が判断することではなく、自分の中にある気持ちだと思います。

逆に『おせっかい』とは、全て受け取り側の判断だと思います。
自分が人にどんなに良いことをしたとしても、相手がそれをおせっかいだと思えば、その行為は『おせっかい』なのだと思います。



親子や友人など近い関係であれば、「この言い方は相手が嫌がるな」とか、「これをやると相手は怒るな」など、
感覚的に分かるときもあるかもしれませんが、人の気持ちを100%理解するのは不可能だと思います。


自分自身のこともすべて分かるわけではないのに、他者のことをすべて分かろうとするのは、無理な話です。

『おせっかい』になった失敗談




ある8月、猛暑の中のかんかん照りの日中、日傘を差して歩いていたら、かなり腰の曲がった高齢の方が杖をついて、手すりにもたれかかるようにして、すり足で歩いていました。


その方のつかまっている手すりはあと10歩くらいの距離のところで終わっていましたが、その先の建物の入口まではまだあと、5メートルくらいありました。


少し悩んだのですが、炎天下で頭を地面にこすりそうなくらい腰を曲げていて、今にも倒れそうに見えたし、1歩進むのにも時間がかかっていましたので、
「お手伝いしましょうか?」と声をかけました。

「大丈夫です。」と返されたのですが、そうですか、とは離れづらく、日傘を差し掛けてしまいました。

続けて、「私のことは、ほっといてください。」と絞り出すように言われてしまい、これはこの方の日常なんだ、おせっかいだったなと反省しました。

こういう時の自分の気持ちとしては、その人を助けたいという思いが100%ではないんだろうなという気がします。
ここで自分が声をかけなかったことによって、この人がもし倒れたりしたら、声をかければよかったと後悔するだろうなという思いがどこかにあったのだと思います。

おせっかいかもと思っても、やってしまうのは、「やっぱりあの時、声をかけておけばよかった。」と思うよりは、「おせっかいをやってしまった。」という後悔、つまりは、やらない後悔よりやってする後悔の方がまだ良いかなと思ったからです。



なぜ思いやりをおせっかいと感じるのか

職場に年齢が1歳上の、面倒見のいい先輩がいました。

その人は、こちらが聞いてもいないことをいちいち説明してくれていました。
こちらが知らないであろうことを先回って教えてくれるのです。

最初はなんて、優しい人だろうと思いました。

でも日が経つに連れ、段々と、そう思えなくなってきました。


こちらが知っていることや常識的なことまで、先生が生徒にするようにていねいに説明してくるのです。
当然、こちらが何を知っていて何を知らないかなど相手が知るはずもないので、毎回すべてを説明しようとしているのだなということが分かってきました。


その人にとってはそれが思いやりであり、その人のやり方なんだろうと思います。

でも受け取る側は、「そんなことも知らないと思われてるのか。」と何度も嫌な気持ちになりました。

「それはもう知っているので説明は不要」ということは、何度か伝えたこともありますが、変わりませんでした。
その人にとって、それは思いやりで、「相手にとって良いことをしている」のですから、相手が不快に思っているなど、考えもしないのだろうと思いました。



自分に置き換えると、子どもが絵について悩んでいる時など、アドバイスを求められてもいないのに、ああしたら、こうしたらとつい言ってしまいます。



相手がそのアドバイスを受け取る気がないときには、思いやりどころか、ただ迷惑なだけのおせっかいになり、楽しくはない空気になってしまいます。


それが積み重なると、先の先輩とのように、いざ聞きたい時も「聞いたら面倒だな」という気持ちが先に湧いてしまいます。




相手が何を求めているかというのは言ってもらわないとなかなか分からないものです。
つまり、自分も何を求めているかを相手に伝えなければ分かってもらえないということでもあります。


状況によっても変わる思いやりとおせっかい




落ち込んでいる時に、思いやりから出た「あなたならもっとやれる!」という言葉をかけられたとしたらどうでしょう。
その言葉で「そのとおりだ!もっと頑張れる。」と思う時もあれば、「そんなにがんばれないよ…。」とますます、落ち込んでしまう時もあります。

自分でも、気分が前向きな時は、前者の気持ちになり、そう言ってくれた人に対してありがたいと思うかもしれませんが、別の時だと、後者のように、相手を疎ましく思うかもしれません。




同じことをされても、喜ぶ人もいれば怒る人もいます。
自分が良いと思ってやったことで、相手がどう思うかは、自分にはどうしようもありません。



思いやりをおせっかいだと受け取られたとしても、「自分にはどうしようもないこと」と割り切って考えることも必要かなと思います。


おせっかいにしない思いやりにするためには





なぜ、そんなおせっかいの状況が何度もあっても、人はそうするのでしょうか。

良かれと思って、また行動を起こすのは、人に助けられた経験があるからではないでしょうか。
誰かに助けられたから、誰かを助けたいと思うのは自然なことだと思います。


「どう思われても、良いと思うからそうする」か「相手にどう思われるか分からないからやらない」か、
「やるか」「やらないか」の選択肢しかないように思えますが、

もう一つ、「何をしてほしいか聞く(言う)」という選択肢もあります。



席を譲る時に「どうぞ」と言うと、「そんな年じゃない」と怒る人がいます。

それなら聞くのはどうでしょう。
「どうぞ(座ってください)」と押し付つけるのではなく、「座りませんか?」もしくは「替わりましょうか?」と一旦立ち上がって、相手に聞いてみるのはどうでしょうか。

「結構です。」と言われれば、「そうですか」と自分が座り直せばいいだけですし。

「どうぞ」と言って断られ、立ち上がった手前もう座ることもできず、なんとなくいたたまれない空気になって場所を移動する…なんていう状況は避けられるかもしれません。


助けて欲しい人がいて、助けたい人がいたとしても、100%相手の求めていることが分かる(分かってもらえる)と思うのは、不可能ではないでしょうか。



相手が望んでいない手助けをするというのは、どちらにとっても良くない、ストレスが溜まるような行為になってしまうかもしれません。




おせっかいにならないためには、望んでいること、望んでいないことを聞く(伝える)という単純な行動ができれば簡単なのかもしれませんね。





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